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 十割板蕎麦
 蕎麦処くに作

About us

 

「町田に蕎麦屋あり。
蕎麦屋はくに作と呼ぶ」を目指して

 

 

創業の想い

 
現在、都市開発が進められる中、町田も50年前とは比べものにならないほど、街の風景は一変しました。
当時は、このくに作がある場所が森野という名の通り森が生い茂る、緑溢れる何もない地域でした。
今では、「町田に来れば、何でもそろう」と言われたり、「まほろ駅多田便利軒」でも題材になったように、ただただ便利な街となりました。その一方で、昔からの家は、どんどんマンションや駐車場へと変わっていきました。父の世代から続く、この昔ながらの庭をなんとか、残したいという気持ち、また、昔から愛されてきた日本食を大事にしていきたいという想いから、2014年6月、蕎麦処「くに作」を開店するにいたりました。
昔からこの「くに作」の家は、多くの人が出入りする家で、時には和歌の会や、お茶会、時には会議室の場、親戚一同の終結の場として使われてきました。
今後は、そば処として、多くの方にお越しいただき、お蕎麦とお庭を堪能していただければ、この上ない喜びでございます。
 

一代目店主 石川康子

 

母から娘へ

 
2014年に開店してから8年目を迎えた2021年の秋、母が創り上げた蕎麦処「くに作」を引き継ぐこととなりました。
「くに作」の庭は、幼い頃の私の遊び場でもあり、生前祖父母が大切にしていた場所でもありました。そんな思い入れのある庭がいつしかその庭を愛でながら蕎麦を食べるという蕎麦屋になりました。これまでも多くの方々が足を運んでくださり、本当に嬉しく思う今日この頃です。
創業当時に当店で掲げた目標は「町田に蕎麦屋あり。蕎麦屋はくに作と呼ぶ」でしたが、次第にニ代目となった私も実感するようになりました。
春夏秋冬を通して、美しい日本の庭木の四季を感じながら、ご家族やご友人、会社の接待なども含めて静寂の中でお蕎麦を堪能していただければ、この上ない喜びでございます。
これからも町田で愛され続ける蕎麦屋として、変わらぬご愛顧のほどお願いいたします。
 

二代目店主 石川桃子

蕎麦処 「くに作」の名の由来

 
明治45年、町田市木曽で生まれ育っ た石川国作の名前「国作」から取りました。所帯をもった国作はこの森野1丁目の敷地に居を構え、平成3年に83歳で亡くなるまで「土地」を愛したエキスパートでした。東京都の役人として戦前戦後、農地改革に携わり、その手腕を東急電鉄の創始者五島慶太にかわれ、昭和34年に東急電鉄に入社。五島慶太の夢であった東急田園都市線、伊豆急行の開通に尽力をつくし、その陣頭指揮をとり、成功裡に導いた人間でした。「土地の整理は人の整理」というのが口癖で、多くの部下たちを育てた石川国作は、 83歳で亡くなるまで生涯東急電鉄の役職をもつ現役だった。町田市の都市開発ばかりか、町田市役所でも数々の役職を兼任し趣味は自宅の庭いじりでした。内助の功として夫、国作を支えた茶人の妻、美和子も生涯こよなく自宅の庭を慈しんでいました。そんな二人の思いが込められた庭を愛でながら、蕎麦処「くに作」で美味しい蕎麦を堪能していただければ幸いです。

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